アラサー女子の日常あれこれ

アラサー独身OLです🌼なぜかうまくいかない恋愛のこと、キャリア、プライベートについて話してます

新卒1年目、営業のストレスで円形脱毛症かつメンタルやられたあの時を振り返る

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こんにちは〜クレアです♪

わたしは社会人になったばかりの時、円形脱毛症(十円ハゲ)になった経験があります。
今日はその経験について書こうと思います。(ちょっと重たいかも…)

今から5年ほど前、新卒で教育事業をメインにやっているコンサルに入社しました。そこはトップダウンでかなり体育会系の会社でした。

振り返ると良い意味ではビジネスマナーのいろはや組織での上下関係を徹底的に叩き込まれ、あとあと役に立ったなぁと思うこともあります。でも当時は、営業としていかに数字を立てるか、自分のノルマを達成するかで詰められいつもビクビク上司とか先輩に怯えていました。新卒で入社して1年目は、先輩上司の目を常に伺い、2年目以降は後輩に舐められまいとする気持ちが強くいろいろ空回りしていたなぁと思います。

メンタルが完全にやられた当時、私はこんな感じでした。
・自分が大嫌い
・道を歩いていてすれ違う人が道を譲らないと舌打ちしてしまう(←明らか危険人物)
・部屋はゴミだらけ、足の踏み場もない
・職場で先輩に、もうちょっとコミュニケーションとろうよ、と言われ、涙が出る

完全に、自分で自分の言動をコントロールする気力がなくなっていました。

なぜ円形脱毛症になったか

職場のストレス:人間関係

上述したように、職場は上下関係が強く、先輩社員を敬い立てるのが当たり前。そんな中、チームの1つ上の先輩女性がすごく後輩に厳しい人でした。周りから見てもやりすぎなんじゃない?と言われていましたし、彼女は指導しているつもりなんだろうけど、新入社員を問い詰める良い方をよくしていました。そしてわたしはその先輩と完全に不仲になりました。

厄介なことに、チーム長の上司はその女性と仲が良く、もう一人の先輩はいろいろな案件を抱えていて常に多忙、わたしは完全にチーム内で孤立してしまっていました。

数字へのプレッシャー

当時会社では、全営業の業績をランク付けして毎月公開していました。それを見て、毎月予算を達成しただの、記録を更新しただの、新人では1位だの何位だのと毎月話題になります。自分の成績がおぼつかないと周りからの評価、先輩の目も厳しいものです。
最初は同期1位を取りたいと燃えていましたが、営業経験もなくコミュニケーションも得意ではなかった自分は最初から1位なんて取れっこなく、毎日もがく日が続きました。今月もダメだったった、今月も達成出来なかった、と自分への自信は当然喪失していて、それなのに皿に先輩になんで出来なかった?何がダメだったか?と毎日突かれる。そんなことが続くので、辛い日々でした。

勤務時間

当時は新人がやる雑用があり、朝はだいたい6:30〜7:30には出社していました。
内容は、机を拭いたり、売上実績を印刷して張り出したり、顧客様のパンフレットを自分たちで印刷するなどです。今考えるとアウトソースすべきコトばかりでありえないですが、当時は毎年、新入社員がやることが通例となっていました。
そして夜は、定時後も帰らず8時、9時まで先輩と振り返りをしたり、成績が悪いのでテレアポリストを作り直す、だとか業界研究をするだとか、PDCAもままならないまま先輩に言われたコトを言われた通りにやっていました。家に帰って、くたくたになって、食事を済ませて寝る、でも次の日も朝早く十分に休養出来ない、そんな日々でした。

HSPである自分の性格

HSPである私は今よりずっと人間関係においても不器用で、他人を頼ることが苦手でした。チーム内で孤立していても、ナナメの先輩や同僚に相談するということができず、どんどん自分の中に溜め込んでしまっていました。
そして自分の頑張りに目を向けるべきだったのですが、自分の出来なさを責めるばかりで、どんどん気持ちも追い込まれていった様に思います。

円形脱毛症になったその後

ある時、当時同棲していた彼氏に十円ハゲがあることを教えてもらいました。
そして、自分が相当精神的にダウンしてしまっていることに気づき、休みたい、と思うようになりました。

心療内科に何度か行き、診断書を書いてもらうことをきめました。

当時は、本当に怖かったです。上司に今の状況をどう説明すれば良いか、自分が休むといったら、何と言われるか、同僚からどんな目で見られるか…。

振り返ると理解のある上司で、そんなに身構える必要はなかったのですが、メンタルが落ち込んでいる状態では自分の全ての決断に自信が持てず、職場の人全員が敵のような、そんな感覚でいたように思います。

1ヶ月の休職、そして復職

診療内科では、1ヶ月は休むように言われました。そこまで症状は重くなかったみたいです。
休むと決めてからは、診断書を届けなければなりませんでしたが、自分で職場に向かうことが出来ず、上司にはメールと電話で伝え、先輩に駅まできてもらい書類を受け取ってもらいました。

その後は会社の携帯はオフにし、できるだけ自分のしたいように生活をし、時々友達と会ったり楽しいことをするように心がけていました。不思議と、仕事から離れると気持ちも回復し、幸い両親の支援もあって、回復しました。

収入がなくなると焦る気持ちから、休みつつ転職活動もして、内定もなんとかもらうことが出来た私ですが、最終的には会社を辞めるのではなく、復職して頑張ることを決めました。

最初は辞める気でいたものの復職を決意した理由は、職場の上長と先輩が本気で自分のことを心配してくれ、自分へ期待してくれていることがわかったからです。

少し元気を取り戻した時に、人の言葉も信じられる状態になり、慕っていた先輩の言葉で自分は一人じゃない、と思うことができたのかもしれません。

そんなこんなで復職をし、会社の環境は徐々に業務改革が進み改善されていき、そこで4年弱務めました。本当に精神的にやられる日々はもう勘弁ですが、あの時の経験で自分がどこまで頑張れるのか、どこまでいったら休養が必要か、感覚的に学ぶことが出来ました。
今となっては貴重な財産ですね。

でわ、お疲れ様です( ´ ▽ ` )ノ